2005年 4回定例会 「せたがや政策会議」代表質問

田中優子  11月28日

※この原稿は質問の元としているもので、実際話したもの(議事録になるもの)とは多少異なる部分があります。

※答弁等、詳細は会議録検索システムへ  

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せたがや政策会議の代表質問を始めます。

今回、“せたがや政策会議”としましては、3つのテーマを想定し、質問構成を考えました。3つのテーマとは、一つが【小さな政府】、2つ目が【地球温暖化などの環境対策】、そして3番目が【未来への投資】ということです。

具体的な質問項目は通告の通り9つですが、これらの質問はそれぞれが3つのテーマである【小さな政府】、【環境対策】そして【未来への投資】に連関しています。

まず【小さな政府】につきましては、全項目にもつながるテーマでもありますので、最初に考えを述べさせていただきます。

先の総選挙において、【小さな政府】を掲げる小泉自民党が圧勝したことで、一躍、決まり言葉のようになった【小さな政府】。しかし、今一度、冷静に【小さな政府】とは、私たちにとって何なのか?考えてみる必要があるのではないでしょうか。

小泉首相が掲げた【小さな政府】の中身は、選挙後に改めて示された「公務員の数の削減」と、「公務員の給与水準の見直し」であり、総人件費を小さくすることでした。

今、日本は、地方や関連債務等を含めると、一千兆円にものぼるとされている天文学的な、財政破綻的状況があるわけですが、その対策として、まず、公務員削減が言われているわけです。

小泉政権の示す公務員削減の具体策は、国家公務員68万人を5年で5%以上の“純減”、また地方公務員368万人を5年で4.6%以上“純減”すること、であり、特に、地方公務員に対しては、その多くを占める教員の配置基準の見直しまで示されています。また、人件費総額については、「国家公務員についてはGDP比で半減」というものも示されています。その背景として公務員を見る国民の厳しい目があることは確かです。

しかし、私たちが注意しなければならないことは、小泉首相の公務員削減の方針が、国家公務員と地方公務員を一緒にしていることから、【小さな政府】なるものが、「中央政府」と「地方自治体」の区別を曖昧にしてしまっていること、です。公務員削減は必至の課題であるとはいえ、「中央政府」と「地方政府である地方自治体」の方法論は、必ずしもすべてが一致するものではない、と思うのです。

【小さな政府】という言葉を、地方議会の立場からとらえてみると、「中央政府を小さくする」ということになります。しかしそれは、国家公務員の数を減らす、ということだけではありません。中央の権限集中を減らす、つまり地方分権ということです。公務員の数の問題と、権限の問題、というのは表裏一体だ、ということを見抜かなければ、【小さな政府】というものの本質は見えてこないでしょう。


つまり、地方議会からみると、現在の中央省庁の権限はあまりにも大きすぎます。もちろん、かつてはそれが国民全体にとって有効だった時期もありました。戦後の経済復興、および高度経済成長の時期に、各省庁は業界ごとに“護送船団方式”とよばれる囲い込みをしながら、国民全員が豊かさを享受できるシステムを作り上げました。みんなが同じという、「総中流化」とも言える横並びの豊かさを国民に与えました。それは、もっとも成功した「社会主義モデル」とも言われました。

このことは、「お上の行政指導のもと、業界団体が内輪で利害調整を行ない、様々な約束事をあらかじめ談合しておくことによって、競争から生じる摩擦をできるだけ前もって回避しようとする社会」だった、とも言えます。
 
そうやって、国民全員が成長から取り残されないように、国が税金を使って社会保障を充実させたり、公共事業を地方に回したりしてきたのです。それが結果的に「大きな政府」につながっていったのです。

結果として【小さな政府】というのは、「大きな政府」を作りかえるということです。税金を使って政府が仕事をする範囲を、今より小さくしていこう、というもので、それは“規制緩和”につながる方向でもあります。早い話、これまでのように護送船団方式のように「御上は面倒見ませんよ」ということであり、言葉を変えれば、自己判断、自己責任、ということになります。

端的な例でいえば、道路の速度制限を撤廃すれば、取り締まる必要はないし、警察の仕事は減る。しかし、痛ましい事故は増えることが容易に想像できます。

ではどうすれば事故を減らすことができるでしょうか。規制緩和によって自由度が増す分だけ、社会における摩擦は増加するでしょう。一つの解決方法として言われていることは、米国型の訴訟社会になる、ということです。

【小さな政府】の行き着く先が、米国型訴訟社会だとしたら、それは私達が望んでいることでしょうか?それ以外の「解決策」は見いだせないのだろうか?と、会派としては色々考えました。

ひとつ救いと思われるのは、国が【小さな政府】のもとに、国の責任を返上する一方で、地方分権という手法で、この世田谷では新たな社会のあり方を構築する余裕、があります。また、税金を使った「大きな政府」は無理ですが、「大きな政府の機能」を、税金を使わずに再構築する方策はあるのではないか、その可能性のヒントは、先の代表質問で「新たな公共空間」として述べたところです。

現状ではこれから先については、正直なところ議論をしておりません。

以上、【小さな政府】という、どうも一人歩きしている言葉について見解を述べた上で、現実問題にもどります。「都区財調・主要5課題」について伺います。

 

「都区財調・主要5課題」は、東京都と23区の話し合いも大詰めになってきていると思いますが、あくまでも、我々23区が望むのは、「一括解決」です。現在の進捗状況について、どのような動きがあるのか?また、「都区財調」問題の解決には、各区の区長の強い姿勢が求められると考えますが、世田谷区の熊本区長の決意はいかがか?改めて伺いたいと思います。

 


次に「せたがやの街づくりとオリンピックの影響」について、です。これは【環境問題】と【未来への投資】という2つのテーマが重なるものですが、実は、先ほど述べました【小さな政府】から導かれる地方分権という問題ともかかわってきます。

石原都知事が「東京にオリンピックを招致する」と都議会で表明したのは9月のことです。2016年のオリンピック開催招致ということなので、まだまだ先の話だろうと思っていました。

しかし実際には、東京が開催地として立候補するには、来年の6月までにJOC、日本オリンピック委員会に“開催概要計画書”を提出しなければならないそうで、さらに、その“開催概要計画書”には、都議会の、“招致を求める決議”が必要であり、そのためには2月の都議会に“概要計画書案”なるものを作成しなければならないということではないですか。

つまり、来年2月までには、東京のどこでどのように競技を開催するか?という概要を決めなければいけない、というスケジュールなのです。詳細は不明なまま、締めきりだけはもうすでに100日を切っています。急なことでもありますが、是非とも環境にだけは配慮した、いえ最近のIOCの開催地選定の条件としては、環境問題が大きな比重を増しているとも聞きますので、環境をおざなりにしてのオリンピックを認めるわけにはいかない、ということを述べておきます。

長野オリンピック、愛知万博でも、「環境」というテーマが大きく謳われていました。それらを参考に、環境問題に十分配慮した形を考えなければならない、と思いますが、区の見解をお聞かせ下さい。

次に2016年の東京オリンピック招致について、石原都知事は「日本を覆う閉塞感を打破するためにぜひ」と言っているようですが、もしオリンピックを起爆剤とする、ということであるならばこの際、申し上げたいことがあります。

2年前に使ったパネルを再び使って、今一度、説明させていただきます。

【大深度エイトライナーのパネルを提示】

私ども“せたがや政策会議”では、今から2年前、平成15年9月の代表質問で、「大深度を利用したエイトライナー構想と世田谷の十年後」、つまり2013年までを視野に入れた形で、構想を述べさせていただきました。私が質問したのですが、その考え方の背景として、「住んでよし、学んでよし、働いてよし、訪れてよし」という都市の性格を強調し、そして世田谷が発展していくには何よりも南北交通の解消としてのエイトライナー、「世田谷の背骨を作ろう!」と、羽田と砧公園をつなぐ交通ラインをつくるべき、ということを申し上げました。

さらに「東京の流れを変える」という戦略も入れ、職住近接と地域コミュニケーションの重要性を主張し、砧公園を防災拠点にし、新庁舎建設の予定地とすべき、等の提案も行なっております。

なぜ、今また、エイトライナーなのか?と申しますと、東京のオリンピック招致は、来年6月にJOCに“開催概要計画書”提出ののち、来年中に国内候補として仮に決まれば、閣議了解事項となり、事実上の国家事業となるからです。

私どもの会派では、ムダな公共事業は絶対反対です。あくまでも投資効果の高い事業であることが基本です。「既存の駅と駅を南北につないだ」大深度エイトライナーの構想は、投資効果の高い事業である、と確信しています。(パネルで説明)

南北交通問題の解消、ということは、世田谷区にとって、また東京全体の流れにも影響するような大きな課題だと思いますし、オリンピックは、今申し上げたエイトライナーを含む、都市基盤整備など、積み残されていた課題を解決する起爆剤になるもの、と考えます。区長はどのようにとらえていらっしゃるか、見解をお聞かせ下さい。

さらに、この質問の冒頭に【小さな政府】における地方分権についての関連性と申し上げました。実は、奇妙なことに気づいたのです。

オリンピック憲章によると、「オリンピック競技大会を開催する栄誉は、都市に対して委ねられる」、と書いてあります。これは、オリンピックの開催主体に、国や県はなれない、ということのようです。

確かに、過去の開催地は全部“市”なのです。長野五輪でも、開催主体は長野県ではなく長野市でした。過去に手を挙げたのも、大阪府ではなく大阪市であり、愛知県ではなく名古屋市でした。札幌オリンピックも北海道ではなく札幌市でした。これまで「東京」は都であって、市ではありません、というのが財調問題での23区のスタンスではなかったでしょうか。

では、さかのぼって1964年の東京オリンピックは?ということですが、昭和39年当時は、23区は区長公選制もなく、制度的に東京都の内部団体であって、事実上の東京市だったのではないか、という理解は成り立つかも知れません。しかし、少なくとも平成12年から地方自治法上の位置づけは変わったのですから、このことは23区の未来とかかわる、素朴でありながら、とても重要な問題であると思います。

ましてや、先の会派の質問にもありましたように、「特別区制度調査会」が大きな改革案を最終答申でまとめたばかりです。スジ論からいえば、代々木を中心としてやるなら開催都市は渋谷区であり、多摩を中心としてやるなら、例えば開催都市は八王子市ということに、つまり渋谷オリンピックとか八王子オリンピックとかになるのでは?と思うのですが、こういうことも財調協議なり、都区協議の場で論じてもよいのではないかと思いました。

また、東京オリンピックの可能性が出てきたら、世田谷区としても、住環境保護の面からも「オリンピック対策部門を設置する必要があると考えますが、いかがでしょうか? 以上、オリンピック関連の質問を終えて、次に移ります。

 


「新型インフルエンザ予防対策として想定できること」ですが、すでに、新型インフルエンザについては報道等もなされており、世界各地でも警戒態勢がとられている状況です。一説には、地球温暖化の影響で感染力が強まっている、ということもあるようです。東京都においても、来月、具体的な想定計画が発表されると聞いております。

そこで伺いますが、新型インフルエンザが発生したら、どういう手順で、どのような事態になるのか、国や都は、どのように対応するのか?特に、区民にしてみれば強制力を伴う入院勧告などは、日頃経験したこともありませんし、また学校等の施設をどうすれば臨時医療施設にできるのか、など、わからないことだらけです。

区は、危機管理という観点からはどのように対応するのでしょうか?また、新型インフルエンザが、少し前に大騒ぎされたSARSと同じレベルの指定感染症に指定された場合、入院病床はどのくらいあるのか?などなど、なるべく素人にもわかるようにご回答いただきたいと思います。

 


次の質問は、決算委員会からの続きとなりますが、「水防拠点における区と都との連携強化について」伺います。

世田谷区は先の水害を考えても、砧地域を中心として、河川による様々な災害を受けやすい地域です。全体的な整備がおこなわれているとはいえ、それでも最近の、想定を遥かに超えた自然のすさまじさは、これも地球温暖化の影響が大きいと考えられますが、どんな災害が起きても不思議ではありません。

そこで一番のキーとなるのは災害情報のいち速い確認であり、危機情報のいち速い伝達だと思われます。より迅速に、より正確に、信頼のおける災害避難の情報が求められています。
と言っても、現状を見てみますと、河川に関する東京都の担当は、従来の「第七建設事務所」が今年の4月に廃止となり、品川区役所の総合庁舎にある「第二建設事務所」が新たな担当となりました。もちろん建設事務所が河川だけを担当するのではないのですが、多摩川を中心とした世田谷の河川からはどんどん遠くなっています。

先日、委員会で東京都の防災センターを視察に参りましたが、あの広範な情報を、もし区の職員が目の当たりにしたら、都の職員が感じる以上の対策を区として打てる可能性もあるのではないか?と感じました。

そこで、今般の、砧支所の改築に際し、都や国の情報センターなり、救助情報関連などの組織を誘致することはできないでしょうか。少なくとも財政に限りがあるなか、都の動向、例えば「第二建設事務所」の動きは、世田谷区は関係ないこととしていたわけですが、やはりそれはもったいないことだと思います。いろいろと都、或いは国の動向を、アンテナを張り巡らし、区として積極的に利用し、取り込む姿勢が大切ではないでしょうか。具体策はともかく、いかがでしょうか?区の見解を伺います。

 


次に、新財団「産業振興公社」設立の目的と効果について伺います。

「産業振興公社」という新財団の設立の話が進んでいると思いますが、それによって、区から移管される事業、そして、委託事業と自主事業はどのようになるのか?新財団ができることによって、これまで区ではできなかったどんなことができるようになるのか?などについて、まず、お答え下さい。

また、財団が設立されることで、必然的に、本庁組織のスリム化が図られるものと考えます。今ある産業振興部から職員は何人減って、全体で何人になるのか?など、本庁のスリム化がどのように図られるのか、具体的にお示しいただきたいと思います。

この産業振興公社ですが、例えば、商店街の活性化などを考えた場合、街づくりと切り離せない、一体化して考えるべきものではないかと思います。産業振興と街づくりは切っても切れない関係性があり、連携のあり方が重要と考えますが、区の見解はいかがでしょうか?

 


次に、「指定管理者制度について」伺います。
このことは先ほども述べた通り、【小さな政府】ということからすれば、規制緩和ということであり、その具体策として「官から民へ」という流れがあると考えられます。

「指定管理者制度」については一般的に、サービスの向上と、経費の節減がメリットとされています。そこで、まず、考えなければいけないことは、サービスの向上は誰が判断するのか?ということです。また経費の節減は誰に対してのメリットなのか?ということであります。

答えは申し上げるまでも無く、利用者です。利用者の皆さんが、サービスが向上した!経費の節減で利用料金が安くなった!こういうことが実感されなければなりません。

今回、指定管理者・指定施設の議案が多く出されておりますが、まず、『せたがや政策会議』としての基本的な考えを述べておきます。公の施設については、その利用者が一定の要件を課される施設と、要件のないものについては分けて考える必要があります。

具体的には、今回、いわゆる、区民系の施設、福祉系の施設、住宅系の施設、そしてスポーツ系の施設、とあるわけですが、区民系の施設やスポーツ系の施設は、誰でもが利用できる施設として考えることができます。それに対して福祉系や住宅系の施設については誰でもが気軽に利用できるという性格の施設とは考えられません。

公の施設といっても、施設の性格が異なる以上、サービスの向上と経費の削減、という同じ物差しで民間導入を考えることには慎重であるべきだと考えます。また福祉系など一定の要件が課される施設については、実際には、民間市場も十分に成熟しているとはいえないのが現状です。
なお、今回の提出議案にはありませんが、文化系の施設についても、利用者の評価そのものが成り立つかどうか、という疑問があることを付け加えておきます。

さて、今回の区民系の施設につきましては、公募を多数取り入れ評価できると思います。
福祉系、住宅系の施設については一部公募もあり積極性が伺える一方、施設の性質上、現段階では理解できる判断だと考えます。

しかし、スポーツ系に施設については、何点か伺いたいことがあります。本来ならスポーツ系の施設こそ、指定管理者制度の趣旨に一番近い公の施設ではないかと考えられます。しかしながら、今回の提案では6施設のうち公募は1件で、残り5件は非公募です。これはあべこべではないかと思います。特に注目したいのは、総合運動場および温水プールと、千歳温水プールの2つの施設に関して、です。

いずれも非公募で、選定結果は「スポーツ振興財団」となっています。率直な疑問として、どうして総合運動場および温水プールと千歳温水プールは、指定管理者選定において公募にしなかったのでしょうか?公募にすれば指定管理者制度の基本的なメリットである、サービスの向上と経費の節減という比較が一目瞭然でできると考えられます。

またこの総合運動場及び温水プールと千歳温水プールの二つの施設が、スポーツ振興財団が指定管理者となっても、実質的にはまた別の会社に委託ということだと思われます。これまでの財団の経過からして、運営費全体に占める別の会社への委託費の割合は両施設とも8割を超えてくると思います。スポーツ振興財団の提案では、何パーセントになっているかお尋ねいたします。

さらに、委員会で説明された資料によりますと、経費の節減に関して、「施設の長寿命化を図ることによる」とされていますがよくわかりません。仮に経費の節減、という提案が、非公募における選定のポイントとすれば、削った部分というのは、今も述べましたように、主に委託費を削ったということが推定されます。というより、委託費を削るよりほかに削るところがない、と考えられます。それは本当に健全な経費の節減のあり方なのでしょうか、非常に危惧されるところです。

行政の事情だけでルールを決めて、それを公募もせずに行政で判定して公の施設の指定管理者を決める、しかも誰でもが利用できる施設にもかかわらず、です。議会のチェック機能を果たせるとしたら、この部分、つまり「官から民へ」という流れの部分であると考えますので明確な答弁を求めます。

 


次に、「環境対策」と「小さな政府」のくくりから、廃プラスチック処理の方針転換について、何点か伺います。

10月の区長会で「廃プラスチックの焼却」が、平成20年度から開始されると決まった、ということが、先の「清掃・リサイクル対策特別委員会」で報告されました。

まず、問題なのは、清掃工場を持つ世田谷区は当事者であるにもかかわらず、我々区議会が何の関与もできず、ただ報告を聞くだけ、という、この制度です。一時は、自区内処理の原則が謳われ、地方分権にふさわしい、世田谷区のことは世田谷区が決められる、という制度に変わろうとしていた矢先に、突然の、 23区清掃一部事務組合の存続、という発表がありました。そして、今回の「廃プラスチックを燃やす」という報告です。

「せたがや政策会議」は、今年3月の時点で、代表質問において、「廃プラスチックの焼却の話が出ているようだが、区民が納得する形での実証試験を行なって、安全性が確認できなければ、燃やすべきではない」、ということを、武蔵野市の例を挙げて、主張しております。

しかしながら、今回、色々取材させていただいた内容を聞くにつけ、清掃一部事務組合で、役人が勝手に決めて安全だと自問自答する形式での進め方、は、区民に対する情報公開、および説明責任の点からは不備である、と言わざるを得ないと感じております。

実証試験はどのように行なわれるのか?については、先ほど、他会派よりすでに質問があり、答弁も出ていますので繰り返しませんが、23区一部事務組合の実証試験にお任せ、ではなく、世田谷区において、安全性に対して不安に思う区民が納得する形での試験を、一部事務組合とは別に、区独自で行なうべきだと考えますが、いかがでしょうか。区の見解を伺います。

このことは最近大きな問題となっている耐震偽造マンション問題と一脈通じるものがあります。要は官民を問わずチェック不足、ということです。まさか建築確認が下りたマンションが強度不足とは・・・!社会における信頼の土台を壊す大犯罪です。地球温暖化とは別に、人災によっても環境悪化は起こるのです。管理運営は一部事務組合とはいえ、施設の隣に区民は住んでいるのですから、【小さな政府】ということの意味合いを理解した上での対応を期待します。


しかし一方で、今月、清掃・リサイクル特別委員会で視察した「最終処分場」を、私どもの会派でも視察に行ったのですが、その実態を見て、都心のごみの異常な量というものを目の当たりにし、言葉を失った、というのも現実です。こうした現実の中で、いかにごみを減らすことが重要であるか、ごみを出さない社会を創り上げなければならないか、について、我々、特に都市で生活する人間は、今一度考え直さなければいけない、と強く思うところであります。

「プラスチックのサーマル・リサイクル」つまり、焼却して熱回収する、という方針ですが、大量廃棄社会に逆戻りしてしまわないか?区としては、どのような対策を考えているのか、お答え下さい。

また、今、23区清掃一部事務組合で問題だと思われるのは、現在の分担金の制度です。ごみ量によって分担金が算出されるのではなく、人口比で決められる、という制度であるため、世田谷区民がごみ減量の努力をしても、それが分担金の軽減に反映されない。これは全くおかしな話です。

ごみ減量努力に見合った負担とするべきで、それを23区の話し合いの中で、実際、ごみを減らしている世田谷区としては主張すべきである、と考えるものですが、区の見解を伺います。

 


次に、地区の力を高めるための生活圏の見直しと、コミュニティー拠点としての小学校の充実について、質問いたします。

世田谷区には、学区域、町会・自治会、出張所、と、様々な地区割りがありますが、果たして私たちはどこに属しているのでしょうか。属しているという表現に抵抗があるとすれば、どこの生活圏にいるのでしょうか?ということです。オリンピックの所で述べましたが、東京という地名はないのです。東京は、あくまで東京都、なのです。東京オリンピックが八王子オリンピックになったらやはり八王子は盛り上がるでしょうし、渋谷オリンピックになったら渋谷は活気づきます。

このように地域の名称とか、生活圏というものは統一性があって、これはわかりやすいということですが、そうであって初めて愛着とか大切にしようという自然な感情が芽生えるものだと思います。

教育ビジョンでは、中学校区をひとつの単位とした「プラットホーム構想」が打ち出されていますが、その中に、小学校区をひとつの地区ととらえた生活圏というものがあってもよいと考えます。

この点について、例えば10年、というように、今後、きちんと時間軸を決めて、将来を見据えた生活圏の見直し計画を立てていくべきではないか、と考えるものですが、区の見解をお聞かせ下さい。


また、小学校は、地区コミュニティーの拠点となるべきところです。杉並区では、教員の人事権が移譲されることを見越して、小学校の教員を養成する塾を開校しました。

そこでは、「地域の文化に精通し、実践的な教育力を持つ人材を独自に育てる」ということが謳われています。このように、杉並区では、教員の人事権の獲得、独自採用の大きな一歩を踏み出しています。

教員の人事権の獲得については、我が会派だけでなく、議会の中で、前々から何度も主張し要望されてきたことであり、「国の動きを踏まえてすぐ対応できるよう、準備を進める」という答弁も得ています。にもかかわらず、どうして杉並区が始められて、世田谷区は出遅れてしまったのか?

しかも学校選択制をとらないという、世田谷区の方針からしても、地域に根ざした、地域に愛着を持った人を採用する、ということは、杉並区より世田谷区にこそふさわしい、やらなければならないことではないのか?と、思うわけです。

熊本区長は、常日頃より、「教育はすべての原点である」と仰られています。私も全く同感しております。であれば、地域の文化に精通したよい人材を世田谷独自で採用していくことを進めてみてはどうかと考えます。区の見解を伺います。

 


最後に、「男女共同参画社会の推進」について伺います。
男女共同参画の考え方や古い意識の改革を進めることが、男女に関わらず優秀な人材が社会で活躍できる、ということにつながります。そういう意味では、こうした意識改革を進めることこそが「未来への投資」です。

自民党が圧勝した衆院解散総選挙でしたが、その後発足した小泉新政権では、「少子化・男女共同参画」という新たな担当大臣が誕生し、猪口邦子氏が就任しました。

猪口邦子さんと言えば、今年1月30日に開催された「日本語教育特区認定フォーラム」で講演していただくなど、世田谷区としても縁のある方です。

内閣府に、「少子化・男女共同参画」担当相ができたということは、それだけこの問題が、現代日本社会において、緊急かつ重要な課題である、ということの表れかと思います。まず、この新たな特命担当大臣の誕生により、内閣府の組織編制はどうなったのか?について、伺います。

猪口大臣は、「男女共同参画は21世紀の最重要課題」と発言されています。また、自民党の、今、話題の国際実力派・新人女性議員の3名、猪口邦子さん、佐藤ゆかりさん、片山さつきさんが、先月行なわれた外国特派員の記者会見で、「ジェンダーという言葉を使うかどうか」「ジェンダー・バッシングをどうすればいいか?」という質問に答えています。それによると、猪口大臣は「小泉さんは最もジェンダー意識のある総理大臣です。私は講演の中で何度もジェンダーという言葉を使っており、男女共同参画社会基本法は私が創ったもの」と。そして、佐藤氏は「ジェンダーは中立的な言葉として認識している」、片山氏は「ファミリー・バリュー=家族中心主義と、ジェンダーが相反するものとされているのは残念。両者は補完すべきだ」と答えています。そして、「私たち3人 が団結して、ジェンダー・バッシングを許しません!」と結んでいました。

いまだに、男女共同参画を「男らしさ・女らしさを否定するものだ」と誤解している人がいるようで、一部の人とはいえ、とても残念なことです。本当の男女共同参画は、ことさら目くじらを立てて、男らしさ・女らしさを否定したりするものではありません。ただ。男女というくくりよりも「その人らしら」をもっと大切にする。それが男女共同参画の本質です。真の男女共同参画とは、一部の人たちが主張しているような、「過激な性教育を進める思想」でも、「端午の節句、桃の節句に代表される日本文化を否定する考え」でも、「生まれながらの男女の性差を解消する思想」でもないのです。

問題は、そういうことにこじつけて、真の男女共同参画の考え方までをも否定する動きが一部にある、ということだと思います。

しかし、今回の、猪口「少子化・男女共同参画担当相」の誕生、発言、そして今後の国の取り組みは、世田谷区で男女共同参画社会を推進していくにあたり、大きな助けになるのではないか、と思われ、期待しているところです。国の動きと区への影響はどうでしょうか?区としての見解を伺います。

また、世田谷区においては、先月、「男女共同参画基本計画」策定委員会が発足しました。私は、第1回目の委員会の議事録を読ませていただきましたが、委員の皆さんのご意見は、様々な角度から、男女共同参画について述べられており、示唆に富んだ、すばらしいものでした。この委員会は、地に足のついた男女共同参画を進める上で、充実したものとなる、と確信しているところです。

そして、今後、この委員会の中で、「男女共同参画に関する条例」についても議論されることになると思いますが、これまで、議会でも何度か答弁されてきた「男女共同参画に関する条例」を制定するかどうかについては、いつ決まるのか?そのスケジュールをお答え下さい。

最後に一言申し上げますが、この時代において、「文化・国際・男女共同参画」という課の名前というか、あり方は、あまり共通性がなくてもくっつけて並べてしまっていて、誰が聞いても、とってつけたような感じが否めません。世田谷区としてあまり誇れることではないと感じます。次の組織改革においては、男女共同参画課、単独で存在することが望ましいと考えますので、検討していただきたいと、申し添えておきます。
以上で、せたがや政策会議の壇上での質問を終わります。