田中優子のショートエッセイ 2003年

 

2004年  

2003年  1月 2月 3月 4月 選挙を終えて 5月 6月 7月 9月 11月 12月

2002年  11月 12月 

 

 

2003年12月】 

 

 早いもので、今年も残りわずかとなってまいりました。
年末になると毎年、毎年、感じます。「今年もあっという間だった、忙しかったなぁ・・」と。
 

 今年は暖冬だった(特に11月は)ようですが、師走ともなりやはり寒くなってきましたね。これからインフルエンザが流行する時期でもあります。何かと忙しい年の暮れですが、皆様、健康に留意されてお過ごし下さい。

さて、私は、先月、11月29日(土)に、母校である中央大学杉並高校の、山崎省次先生『特別授業&懇親会』に参加してまいりました。
これは、今年の3月に定年退職された、中大杉並の国語(古文)の先生でいらっしゃった山崎省次先生の『特別授業』というもので、卒業生の要望で開催されたもの(今回で2回目)です。今回は、『源氏物語の笑い』というタイトルで授業が行なわれました。

1期性から37期性まで(ちなみに私は13期性です)の115名の“元生徒たち”が、「起立!礼!着席―!」の号令から始まって、久しぶりに古文の授業を受講し、楽しいひとときを過ごしました。高校時代は苦痛だった(?)古文の授業が、こんなに楽しくて興味深いものだったとは?!我ながら驚きです!!授業時間があまりに短くて、「続きが聴きたい〜!!」と、真剣に思いました。

小説『鉄道員(ぽっぽや)』で著名な作家、浅田次郎さんも中大杉並の卒業生(5期生)ですが、分刻みの大変お忙しいスケジュールにもかかわらず「山崎先生のことであれば」と、懇親会に姿を見せていらっしゃいました。同窓会、恩師との再会、というのは、心温まるいいものですね。

議会の方は、今年最後の第4回定例会が12月5日に終了し、あとは常任委員会や評議員会などが予定されているところです。今回は、『世田谷区清掃・リサイクル条例』の改正(通称:資源持ち去り禁止条例)や、『産業振興基本条例』の改正(商店会に未加入の小売店などに加入の努力義務を課すもの)、『人と動物の調和のとれた共生に関する条例』(新規制定)などの議案が出され、可決されました。
区議会の議案など詳細につきましては区議会のホームページをご覧下さい。
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/kugikai/katsudou/kai_index.htm

 今年は、4月に統一地方選があり、無所属で出馬、当選させて頂き、精一杯駆け抜けた一年でした。区議会で『せたがや政策会議』という、新たな会派(グループ)を結成し、メンバーの4人がしっかりとチームを組んで、数々の成果を上げることができた、充実した年だった、と実感しております。来年もさらなる飛躍ができるよう、頑張っていこうと思います。今年も一年間、ご支援いただき有難うございました。

 

 

 

2003年11月】 

 


区民体育大会の入場式


区民スポーツ祭り・開会式。ダブルダッチ
(大縄を2本使って跳びながらダンスやアクロバットをする種目)
の世界チャンピオンチームの演技


 11月に入ったというのに、20度を超えるような暑い日があったり、急に冷え込んで「冬」を感じさせるような日があったり、気候が不安定ですね。

 このように気温の変化が激しい時は、アレルギー性鼻炎の疾患者にはとてもつらいです。いつも鼻がぐすぐすしていてくしゃみの連発・・・・。鼻炎の薬を飲んだら最後、全身から地面に向かって根が生えて行くようにだるくなって、ものすごい睡魔に襲われてしまいます。ですから、薬を飲まずにガマン、ガマン、の日々を送っています。
とてもいい、と言われている耳鼻科の先生を紹介してもらったりしているのですが、いいところはいつも混んでいて2時間以上待つ覚悟が必要です。今は仕事を休んで医者に通う、という時間が(選挙後からずっと)とれずにおります。でも、身体が資本だから、体調不良なところは早めに治した方がいい、ですよね。わかってはいるのですが・・・・。

 秋は学校の周年行事(創立○○周年記念式典、というもの)が毎週のようにあり、区の行事も大変多いので、土日もほとんど公務が入っている、という忙しさです。そして、この一つ前のエッセイにも書きましたが、10月は「紅玉りんご」の季節ですから、アップルパイ、りんごのパンケーキ、焼きりんご、アップルケーキ、等々、毎日のように作っていました。(他のりんごと違って、紅玉はやはりとてもおいしい!と思います)
深夜、メールチェックしながら、議会関係の原稿を書きながら、議会から出てくる様々な資料を読みながら・・・・。結構有効な時間の使い方をしている、と我ながら満足しています。

 生クリームをたっぷり添えたアップルパイやアップルケーキは、我が家の息子も大好きです。普段、なかなか早く家に帰れないので、こうして手作りおやつでコミュニケーションをとるよう心がけています。議員としての仕事がしっかりできるのも、家族の理解と協力があってこそ(特に、料理上手の夫は有難い存在です!)と、感謝しながら、毎日仕事に取り組んでおります。

 衆院選も終わり、今後の日本はどのような方向に向かって行くのか?二大政党化したと言われていますが、果たして今のままの連立政権が存続可能なのか?政党再編成はあるのか、ないのか?イラクへの派兵問題は連立与党の中でも意見が分かれると思われますが、どう決着をつけるのか?(私はあくまでもイラクへの派兵は反対です。でも、それが止められない状況となってしまったら、最低限、いつ、どういう状況になったら撤退するのか、ということを前もってきちんと決めておかなければいけない、そうでなければ大変なことになる!と思います。政府の責任でそれだけのことをきちんとしておくべきです。)

 日々、色々な立場の区民の方々から様々な意見を聞くに連れ、政治に関わる仕事、というのはとても難しい、と実感しております。しかし、だからこそ、やり甲斐のある仕事です。なかなかすべての人の思い通りにことが進むわけではありませんが、私は私なりに区政に関わる者として調査・情報収集し、責任をもって判断し、態度を明らかにしたり政策提案したりしていきたいと思っております。これからも頑張ります!!


 


2003年9月】 

古都チェンマイのドイステープ寺院にて プーケットのマリオットリゾートホテルの庭



 8月は冷夏で、9月に入ってから残暑が厳しくなり(というよりも、真夏のような日が続きました!)、そして、それも突然のように涼しくなって、もうすっかり秋ですね。

 私の夏休みは、お盆の時期に家族で恒例のタイ旅行に行きました。今回は、中学1年になった息子の友だちも誘って一緒に連れて行ったのですが、「飛行機が初めて」というその子もすっかりタイにはまったみたい(?)でした。
タイは、1984年の終わり〜1990年5月までの5年半、夫の駐在で住んでいたことのある国です。そこでタイ語を覚え、タイの大学(国立タマサート大学)で学生に日本語を教え、ゴルフを習い、タイの友人ができ、タイ料理を始め各国の料理を食べ歩き、本当に楽しく貴重な5年半を過ごすことができたと思います。そういうわけで、私にとってのタイは第二の故郷です。帰国してからも、毎年必ず訪れています。子どもにも、日本とは違うタイの文化を肌で感じ、色々なことを学んでほしいと願っています。

 休暇のタイから戻って、1週間後にはベトナムへ。こちらは「世田谷日越親善議員連盟」の有志で訪れたのですが、詳細は『活動日誌のページ(現在準備中)』に載せる予定ですので、そちらを見てください。ベトナムはホーチミン市を訪れたのですが、大変活気のある、急成長を続けているということが感じられる街でした。ベトナム語ができたらどんなに楽しいだろう?!とつくづく感じました。

 そして、9月に突入したら、すぐに9月議会(第3回定例会と決算特別委員会)が始まり、現在、その真最中です。今議会では、私が「せたがや政策会議」の会派代表質問を担当したのですが、前回同様にまた大型パネルを使い、一人で40分間、「エイトライナー構想と世田谷の10年後」と題して、会派として考えた「世田谷の街づくり構想」を提案しました。(詳細については『活動日誌のページ』に載せる予定です

「せたがや政策会議」 田中優子の代表質問の様子
 

 40分間、ひとつのテーマで話し続けるのは大変なことだと思いましたが、最初は野次が飛んでいたものの、途中から議場全体(の人々)が、こちらに注目し、しぃーんとなって聴き入っている、という雰囲気になったのを感じました。熊本区長からは、私達の提案(構想)を、「大変スケールの大きな提案だと感じた。“世田谷区基本計画審議会”でも踏まえて議論したい」、という趣旨の答弁がありました。(これは大変前向きで重要な答弁です!)あちこちでかなり反響をよんでいるようで、手応えを感じました。この構想を踏まえて、10月から始まる決算委員会においても有意義な提案と質問をしていきたいと思っています。

 さて、“秋”、と言えば、読書、スポーツ、食べ物、紅葉、と色々な楽しみがありますね。
このとてもいい時期に、私達議員は、1ヶ月以上議会が続くので、ほとんど庁舎の議場か委員会室に朝から夕方まで缶詰状態、です。そして、この長丁場の議会が終わると、もうすっかり日が短くなっていて、冬を感じさせる季節へと変わっています。また、秋は、学校関係の周年行事や運動会、中学生評議員会、区民体育大会、産業フェア、青年の祭典・・・・等々、公務が色々入っていて、土日もほとんど休みがない、という状況で、何かと忙しい毎日です。そのせいか(?)、先日のある土曜日、私は朝バタバタと出かけたら、目的地に着いた時に知人に出会い、何と!「片方ずつ違う靴を履いている!」ということを指摘され、真っ青!!・・・になりました。そういえば、その前の日は、電車に乗って出かける用事があったのですが、「スカートのチャックが・・・」と小声で教えて下さる人あり。「ぎょえーっ!!」と思いました。何と恥ずかしいことか・・・。

 ここまで来ると、ちょっと疲れすぎかなぁ?・・・・と、我ながら反省し、以前はどんなに夜中になっても半徹夜状態になっても、区民の方からのメールにはできるだけ即答するようにしていたのですが、最近ではそこまで無理をするのはやめよう、と、少々メールの対応が遅れ気味のことがあります。返事を待って下さっている方には非常に申し訳ありませんが、でも、必ず返信しますので、ご了承下さい。そんなこんなで、相変わらず忙しい毎日ですが、ますます仕事が楽しくなり、張り切っています。そして、時には、この時期しかない『紅玉りんご』で得意のアップルパイを焼いたりして気分転換を、と思っています。皆様も、十分に“秋”を堪能して下さい。


 

 

2003年7月】


 原爆ドーム前にて                                倉敷の風景

  
 早いもので、7月も終わりに近づき、子どもたちはもう夏休みが始まっています。今年の7月は、雨で蒸し暑い日もあれば、5月の陽気といわれるくらい涼しかったり、また、真夏のような暑さの日もあったり、と、天候が不安定ですね。

 私は、今月14日〜16日、議会の常任委員会の視察に行ってまいりました。私が所属している「文教常任委員会」では、「小学校高学年における教科担任制の導入について」「校庭の芝生化について」(神戸市)、「学校園ネットワークシステムの導入による事務の効率化について」(倉敷市)、「特色ある学校教育(小中連携教育、中高一貫教育の取り組み)について」「公共施設と合築した学校改築の事例について」(広島市)、を視察してまいりました。(関連記事を『勉強会&活動報告のページ』に載せてありますのでご覧下さい)

 視察の最後が広島市だったので、私は解散後に「平和記念公園」と「広島県立美術館」などを、自主的な視察として見て回りました。「平和記念公園」については、33年前、私が小学校5年生の時に、スイミングクラブの全国大会が広島で開催され、選手として参加したことがあるのですが、その時、試合の後に訪れたことがあります。小学生の時に見た原爆被害の悲惨さは忘れられないものとして私の胸に刻まれています。今でも、「平和教育が大切である!」と議会で訴えているのは、そういった経験があるからこそ、だと思います。やはり、何があっても、武力による戦争という手段の前に、平和的な解決の道を模索するべきである!と強く強く思います。戦争は、最大の人権侵害であり、環境破壊につながる行為です。「我々の子どもたちは絶対に戦場に送りたくない」「国の責任において、自衛することは大切なことであるけれども、武力に頼る方法ではなく、もっと賢い方法で平和的な解決を図れる国、日本であってほしい!と、私は心から願っています。

 ところで、「夏」といえば、水泳の季節。私は水泳が得意で、小学校5年生から競泳の選手クラスで練習するようになり、中学1年の夏まで背泳の選手をしていました(今でいう「ジュニアオリンピック」に出場していた、という程度のレベルですが)。そして、中学1年の秋から、シンクロナイズドスイミングに転向し、大学2年までの7年間、勉強に追われながら、競泳よりもさらに過酷なシンクロの練習に明け暮れる日々を送ってきました。今でこそ、シンクロは世界水泳やオリンピックの正式種目となり、日本選手の活躍が人々に知れ渡るようになりましたが、30年近く前の当時は、ほとんど誰も知らない!という状況で、「シンクロって新しいクロール(新クロ)?」と聞かれたり、「よみうりランドの水中バレエ劇場を見に行ったけど(出ていなかった?)」と言われたり・・・・・。
こうした選手生活や、引退してからのコーチや審判の活動は、今の私にとって、とても貴重な体験となっています。今でも「人一倍根性がある!(と思います)」のは、学生時代の「選手生活」のおかげでしょう。ただ、その「根性」に「体力」がついていかない年齢になったなぁ・・・、と実感する日々でもありますが・・・・・。その点、十分配慮して、議員としての仕事、家庭での仕事を両立させて頑張ろう!と思います。

皆様も、暑い夏、お体ご自愛下さいますように。またお子さんのいるご家庭では、楽しい夏休みをお過ごし下さい。


 

 

2003年6月】


 

 梅雨の時期で、体調を崩されている方が多いのではないかと思いますが、お元気でいらっしゃいますか?
今、私は6月の定例議会(第2回区議会定例会)の最中ですが、新しい議会構成となって初めての本会議を迎え、議会質問の準備にも力を入れて取り組みました。

 私の所属する会派「せたがや政策会議」の代表質問について(その成果が新聞各社で報道されたこと)は、最新情報のページに載せましたが、本当に議論好き(?)のメンバーで、徹底した調査と議論と勉強を基礎にして議会質問に臨み、責任をもって皆様の信託に応えるべく、やり甲斐のある仕事をさせて頂いております。
 

 私個人の一般質問では、初めてパネルを使っての質問を致しました。「外郭環状道路について」の質問ですが、パネルで外環道計画地の地図を用意して、ビジュアル的に説明しながら質問したところ、とてもわかりやすくてよかった!という声がたくさん届きました。(傍聴にいらして下さった方々、有難うございました!) しかしながら、パネルを使用しての質問は、原稿を読むことができないので内容をすべて頭に入れて話さなければならず、何しろ議事録に残る公の発言ですから間違えてはいけない!そういう意味ではとても大変な作業なのです。今議会から、世田谷区議会のホームページで議会が生中継で見られるようになりましたし、もうすぐ録画でも見られますので、ぜひ区議会のホームページをのぞいて見て下さい。私にとっての「初めての挑戦」としてはまあまあのできだったかな、と思いますが、もし、録画を見られた方、ご意見、感想等がありましたらぜひお寄せください。

 話は変わりますが、春の運動会シーズン、私も子どもの中学校の運動会を見に行きました。今、総合的な学習の時間等でいわゆる主要教科の時間数がかなり減っている、ということや、学校週5日制で、行事などには時間をかけていられない、という現場の大変な状況があることは(私も教師経験がありますので)よくわかります。・・・・・けれど、運動会で「応援団がない」、というのはとてもさびしい感じがしました。応援団あってこそ!の運動会。そこでスターやヒーローが生まれたり、事前に練習することでチームがまとまったり、団員として思いっきり発散することができたり、という成果って、青春時代に大きな影響があり、意味のあることではないかなぁ、と個人的な趣味と価値観(私は体育会系の人間なので、でしょうか?)からは思います。運動会が盛り上がりますよね、応援団の存在で。

 教科の時間を確保するために行事の簡素化がさけられない学校現場・・・・・、ではその分、基礎学力を徹底的につけてほしいと願う保護者の思いに十分応えているかといえば、今の公教育はとてもそういう状況にはありません(私立中学校の受験者数が今年は過去最高、という結果を見ればよくわかります)。やはり、大切なのは「教育改革」ではないでしょうか。公教育の信頼回復のために何ができるのか?具体的な政策をもって取り組もう!と会派内でも勉強を進めています。私は運良く、議会の中で「文教委員会」(教育と生涯学習について専門的に審議する委員会)の副委員長というポストに就くことができました。この立場を十分に生かして、教育改革に真剣に取り組みたいと思っています。小中学校のお子さんをお持ちの保護者の皆様、ぜひ、現役の保護者の立場からのご意見をお寄せください。



 

 

2003年5月】

 

 新緑の美しい5月、私の誕生日月でもありまして、大好きな季節です。さて、世田谷区議会では、5月20日から新しい議会がスタート致しました。

 熊本新区長の召集挨拶には、「これまでの世田谷区政のしがらみ・よどみを払拭し、行政体質の変革、刷新を図る」、「全ての基盤整備と施策を、地域生活者の暮らしという観点から見直し、つくり直さなければならない」、「全ての原点は教育であり、次世代の地域社会を担う子どもたちの教育に、最善の努力を尽くす」という内容が盛り込まれていました。私は、文教常任委員会の副委員長という役割を担うことになりましたが、特に世田谷区の公教育の改革については力を注いでいきたい!と思っておりますので、今後の活動を楽しみにしております。(皆様のご意見もぜひお寄せ下さい)

 議会の中では、上島よしもり議員(自由党・世田谷)、小泉珠子議員(新風21)、大庭正明議員(世田谷行革110番)とともに、「せたがや政策会議」という名称で交渉会派を結成いたしました。この名称ですが、行政サイドにも「政策会議」というものがあって、重要な決定機関としての位置づけだそうで、名前からしても大変な注目度のようです。我ながらすごい名前をつけてしまったなぁ・・・と思っておりますが、4人が4人とも「一人会派」で頑張ってきた経験のあるメンバーなので、区政に対する取り組みの真剣さは誰にも負けない、という強い想いがあり、毎日議論し勉強を重ね、本当の意味で区民に役立つ議員として、会派として、の活動ができるように、とはりきっています。ハードではありますが、とてもよいメンバーに恵まれたと思っています。

 私個人の生活は・・・・、選挙が終わって一段落したら、家の片付けをして、友人とお茶、食事、に出かけたり、気分転換に映画を見に行ったり、温泉に行ったりして遊ぶぞ〜!!と思っていたのが、全く甘い考えだった、ということに気づきました。新しい議会のスタートに当たっては、会派としてやらなければならないことが山のようにあり、本当に忙しい日々を送っております。「選挙後の夢」はこの5月に関しては全く実現できず、家の中もちらかったまま・・・・・。これを許してくれている家族には心から感謝!という状況であります。

 今月末には6月議会の準備を始めなければならないので、きっと忙しいスケジュールのまま、6月も過ぎて行くのだろう・・・・と思いますが、区民の皆様から頂いた信託にしっかりと応えるべく、頑張ってまいります!今月はまたひとつ歳をとってしまいましたが、いつまでも気持ちは若く持ち続けたい!と思います。



選挙を終えて】

 妹と・・・

 

4月27日、世田谷区議会議員選挙投票日、運命の日がやってきました。20日〜26日までの選挙戦本番の一週間、皆様に大変お騒がせしたこと、心苦しく感じておりますが、今の段階では選挙カーを回して名前の連呼をすることなしには戦えない、というのが実情で、他にいい手立てがありません。ある区民の方からは苦情のメールが来て、「名前を連呼する候補者には絶対に投票しない。辟易している。すぐにやめるべき」と言われたり、駅頭で遊説をしていたある朝は外国人男性にからまれたりもしました。日本語で「うるさい!」「静かなまち」「やめろ!」「すぐやめろ!」と詰め寄られ、何とハンドマイクに手を出してスイッチを無理やり切ろうとされたのです。当然私の体にも接触しましたからとても恐ろしかったです。
 

 確かに、今の公職選挙法は矛盾だらけである、と感じます。もっと現実に合わせた法に変えるべきだと思いますし、区民の方々に迷惑がかからない方法で、候補者のことがうまく伝えられるような内容に変えるべきでしょう。街中の事前ポスターの無断貼りも年々ひどくなって来ていると感じます。マイクの音による騒音公害だけでなく、ポスター無断貼りで街の景観を損ねていること、電話攻勢による被害、等々、色々な問題を抱えています。根本から、公職選挙法を見直すことを国に要望していく必要がある、と感じました。また、できることなら、区独自で条例を作り、ある程度議員自らが自粛していけるような選挙活動にしていく必要性があるとも思っています。次の選挙の前までに、選挙の手法が少しでも改善できるように議会内で働きかけたいと思います。(ちなみに私個人としては、今回できることとして、「選挙中の電話攻勢」は一切やめました。電話での投票依頼でいわゆる「票読み」をするのが選挙の常識、という部分がありますが、それも選挙公害のひとつだと思っていましたので、私のささやかな挑戦としてやりませんでした。)
 
 選挙中には、苦情のメールの他に激励の嬉しいメールもたくさん頂きました。(有難うございました!)
今回は組織を離れて、何も準備ができていないまま迎えた選挙戦だったので、本当に不安でした。選挙事務所の看板もつくらず、電話かけもしない、個人演説会も行なわない、出陣式は羽根木公園ふもとの道路上でやった、という、普通の候補者には考えられないような選挙戦でした。議会事務局の人が出陣式の際にはどの陣営にも撮影に来るのですが、道路で行なう出陣式、しかも来ている人(支援者)が他の陣営に比べたら圧倒的に少ない、という状況に驚いた!ということがあとからわかりました。多分「これでは(当選は)難しいだろう・・・」と感じていたのではないでしょうか。
 
 今回の選挙戦はこの他にもたくさんのエピソードがあります。何もわからないまま試行錯誤でやっていたので、事前ポスターも選挙用のハガキも選挙カーの看板も、すべてが失敗で作り直さなければならない、という苦難に見舞われ、普通の精神ならとっくに切れてしまうというか、めげてしまう、という状況にありました。でも私は「マイペンライ」の精神で(意味がわからない方は『田中優子レポート』のページ、「田中優子のマイペンライで行こう!」をご覧下さい)、「初めてのことなのだから失敗があっても当然。完璧にできなくても当然。出陣式の日に選挙カーがなくたって気にしない、歩けばいい」というくらいの気持ちで臨むことができました。「無所属・市民派、手づくり選挙なんてこんなもの」といつも思っていました。・・・・そして、4月27日、4524票、52人中12位での当選、という私にとっては上出来!というすばらしい結果が得られました。皆さんのご支援に心から感謝致します。
 
 今後は、世田谷区議会の中で、今回頂いた区民の皆様の信託をよりいっそう議会の中でいかせるように、「せたがや政策会議」という「正式交渉会派」を私田中優子と、上島議員、小泉議員、大庭議員の4人で結成して取り組んでまいります。しっかりと議論を重ね、勉強会をもち、広報広聴活動に力を入れて区民の皆様の意見が把握できるよう努力しながら、4人で力を合わせて先進的な政策提案ができるように頑張っていく所存です。今後とも、その窓口となる私田中優子に皆様のご意見をお寄せください。お待ちしております。


 

 


2003年4月】 


 さわやかな風と緑が気持ちのよい春を感じさせてくれます。
4月は新たな出会いの季節ですね。学校や職場など新しい世界に飛び出す方も多いことでしょう。私の息子も中学生となりました。(今年は私立中学校の受験者数が過去最高で、公立離れが進んでいる状況ですが、我が家の場合は受験せず、区立松沢中学校に進学です)新たな出会いを大切にして、楽しい学校生活が送れるといいな、と思っております。

 3月は丸一ヶ月間、本会議と予算委員会に釘付け状態でしたが、ようやく終わりました。そしてもう4月となり、今は都知事選挙の最中であり、統一地方選挙も間近となってまいりました。常日頃から感じていることですが、どうして地方議会の選挙はこんなに投票率が低いのだろう?・・・地方議会こそが、その街に暮らす市民にとって一番身近な政策決定の場であり、施策(予算措置)も生活に直結することばかりです。なのに、意外とそれが見えていない、ということが原因でしょうか。

 私は以前にも書いたことがあるかもしれませんが、“どこかの組織や団体に属する人”ではなく、本当の意味での“一般市民”が政治に感心を持てば(投票行動に出れば)、そして、そういう立場の議員が増えれば、議会は必ず変わる!と信じています。投票率40%、つまり半分以上の、6割もの人が選挙に行かない、投票権を放棄する、というのはやはりおかしいと思います。それだけ政治不信が歴然としてある、と反省しなければならない現象でしょう。

 4月27日の統一地方選挙の投票率がどのようになるか、その結果、どのような議会構成となるか、楽しみでもあり不安でもあります。ただひとつ言えることは、常日頃から、市民の視点でものを感じ、考え、発言していくと、必ず人々に伝わり、政治を変えていく力となる!ということです。その昔「誰に投票したってどうせ政治は変わらない」と選挙を棄権していた自分の姿を思い出すと、これだけ自分が変わることができたのだから、社会も変わるはず!と私の中で妙な信念が生まれています。

 皆さん、大切な1票をぜひ投票行動に結びつけて政治の場に生かしましょう!

 


 

 

2003年3月】 


 春の訪れを感じる季節となりました。
今、私は、区議会第一回定例会と予算特別委員会の会期中(3日〜28日まで)です。
世田谷区議会は「一人会派」でもすべての領域で質問することができるので、「企画総務」領域から「区民生活」「福祉保健」「都市整備」「文教」領域と、連日のように質問に立ちます。
  
 議会質問は、十分な調査や資料の読み込み、取材などをした上で原稿を書くので、膨大な時間がかかる大変な作業です。公の発言として議事録にも残るので、責任重大でもあります。しかし、私は、これこそが議員の特権だと思っています。どの組織や団体の利益を追求するわけでもなく、広く、私たち一般市民の生活に役立つ政策を議会で提案し予算を獲得していく、という仕事を担うことが。そういう意味においては、私は誰にも負けないくらい日々勉強を重ね頑張っております。

 議会中、特に決算委員や予算委員会のように1ヶ月間続く長丁場の議会では、質問原稿書きで半徹夜という日が多いので、夜中にお腹がすいてしまいます。それで、深夜2時半とか3時半、といった時間に休憩を兼ねてティータイム。お茶&甘いお菓子を「こんな時間に体によくないぞ!」と思いながらも食べてしまいます!そんなわけで議会中は超ハードなスケジュールにもかかわらず太ってしまいます。健康管理をもう少し気をつけなければ、と反省の毎日です。

  皆さんも健康チェックをしながら、いつも元気でいられるように意識してお過ごし下さい。

 

 


2003年2月】 

「羽根木公園の梅祭り」



 寒い毎日が続いています、昨年から今年にかけてインフルエンザや質の悪い風邪が流行っていますが、皆様お元気でいらっしゃいますか。

 我が家にとって2月は「結婚記念日(今年でついに20年目に突入です!)」「バレンタインデー」「子どもの誕生日」と、行事が目白押しで大忙しです。・・・と言いたいところですが、いつも結婚記念日は忘れ去られ、バレンタインデーも(私は何もせず)夫や息子がもらってくるチョコレートを楽しみに待っているだけ。唯一、子どもの誕生日だけは、夫も私も仕事を調整して家族そろって毎年ディズニーランドに出かける、ということを繰り返して来ました。ですが、それすらも今年はあまりにも忙しくてできませんでした。来年は今年の分も取り返さなくては!と思っています。

 今何がそんなに忙しいのか?というと、3月の本会議と予算特別委員会の準備です。
昨年までは組織に所属する議員だったので、いくつかを担当すればよかったのですが、今回初めて「一人会派」となり、すべての領域の質問にフル出場しなければならないので大変です。

  ところで、「予算委員会では何をするか」と申しますと、1月末に、私たち区議会議員には「平成15年度の予算概要」についての説明があります。これまでの議会質問がどのように予算に反映されているか(実現しているか)、まだ足りないところはどこか、等々についてしっかりチェックして、予算特別委員会の質問づくりへとつなげていきます。議員になったばかりの時は何が何だかわからなくて大変苦労しましたが、最近では分厚い予算書を見ることが面白くなってきました。もちろんまだまだ十分ではなく、勉強しなければならないことがたくさんあります。でも、だからこそ議員の仕事は奥が深くてやり甲斐があるのだと実感しています。
 
 3月3日〜28日まで1ヶ月間に渡って行なわれる第1回区議会定例会と予算特別委員会の予定については、「お知らせ」のページに載せてあります。皆さん、ぜひお時間のご都合をつけて、一度傍聴にいらして下さい。区役所第2庁舎の5階が本会議場、4階が予算特別委員会室です。お待ちしております。



2003年1月】 


明けましておめでとうございます。

新年の抱負、皆さんはどのように立てましたか?

私はもちろん「4月の統一地方選挙をクリアして、2期目今と同じ立場でよりよい仕事ができますように!」ということが今年1番の抱負です。

 それ以外にも「今年は映画を楽しむ」「テニスをする」「バレエのレッスンにもっと出られるようにする」「ジャズダンスを習う」「家のリビングを片付ける」「アルバムを整理する」「(体重の管理も含めて)健康に過ごす」「子どもにガミガミ言わない」「友だちと会える時間をつくる」「ゆっくり料理する時間をもつ」等々たくさん抱負があります。こうしてみるとささいなことばかりですが、日頃できないことなので「抱負」になってしまうんですね。

 私は小学校5年生から中学1年までは競泳の、そして中学1年から大学2年生まではシンクロナイズドスイミングの選手でした。選手生活というのは普通の子どもとは全く違って、常に記録や成績に対する目標・抱負を目の前に掲げて走り続けている、という感じです。休みというと合宿があって家族旅行などほとんど行けません。何年かに一度しかない同窓会も練習があれば絶対に休めないので欠席、です。朝は学校に行く前にプールで練習し、学校が終ったらまた夕方の練習へとプールに直行する。日曜日も祝日も、練習がないという日はない、という生活です。我ながらよく続いていたものだと思います。

 そして今残っているのはその時に培われた体力と根性(だけ)。体力の方は年齢とともにかなり衰えていると感じますが、根性だけは健在(?)のようです。この持ち前の根性で、今年も超ハードなスケジュールを何とか乗り切って頑張ろう!と思います。

 皆さんにとっても2003年がよい年となりますように。