田中優子のショートエッセイ 2002年

 

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2002年12月】 

早いもので、今年も残すところわずかとなりました。

師走はどなたにとっても忙しい時期だと思いますが、私も次から次へと仕事に追われる毎日で、いつもならとっくに出している海外の友人たちへのクリスマスカードもまだ用意できず(もう今年は遅すぎて出せずに終ってしまいそう!)、もちろん年賀状など何も手つかずの状態(焦っています!)です。

ところで、皆様は年末年始をどのように過ごされますか?我が家では今年は第二の故郷であるタイへ出かける予定です。忙しい日本を離れて、しばしゆっくり過ごせる時間が持てたら、と思っています。

タイは色々な料理が安くておいしいのでまずは食べることが楽しみです。そして、友人たちに会うことも。私はタイ語を教える仕事から今の議員の仕事に転身したのですが、それ以来ほとんどタイ語に触れる機会がないので、かなり忘れてしまっています。現地で友人たちと話すと思い出すのですが、難しい言葉や表現は全くダメですね。いつか、時間ができたらまたタイ語を勉強したい、と思っています。タイ文字の、あの模様のような美しさが大好きです。
 
 では、楽しいクリスマス&よいお年をお迎え下さい。

 


2002年11月】

この度は、「世田谷市民クラブ・田中優子」のホームページを見てくださって有難うございます。

私は、1999年に世田谷区議会議員選挙に初当選して以来3年8ヶ月間、必死に勉強し、議員活動を行なってまいりました。当初、「議員の仕事としてこれだけはしっかりやっていこう」と決めたことが二つあります。それは、「定例議会終了後には『議会報告街宣』を各駅(私の担当は北沢総合支所のエリアだったのでその中にある主要駅)とスーパーの前等で行なうこと」と「毎月活動報告をまとめて地域の方に配る」ということです。

 
 

つまり、「選挙のときだけ皆様の前に登場して名前を連呼する」という議員ではなく、「いつ区議会が開かれ、どんなことが議論され決定されたのか?」「田中優子は何を議会質問で取り上げ、どのような答弁が得られたのか?どんな政策に取り組んでいるのか?どんな活動をしているのか?」ということを日常的に皆様に伝えること(情報提供や広報広聴活動)が議員の大切な役割ではないかと考えたのです。

私は、2002年10月28日付で、新たに「世田谷市民クラブ」を立ち上げましたが、それまでは「組織(生活者ネットワーク)」に所属しての議員活動を行なっていました。(生活者ネットワークを離れた理由についてはこちらをご覧下さい)

「組織」として動くことは大きな力となって有効なことがたくさんありますが、「個人」で動くことにより、これまで以上に自由な発想をもって勉強したり活動したりすることができるようになったことを、今、実感しています。また、その分の責任の重さも感じています。
                                                                  

今後は、大勢の市民の皆様と共に活動を広げていきたいと夢を描いています。いつでも皆様のご意見をお寄せ下さい。お待ちしております!

急に風が冷たくなって、季節はすっかり冬ですね。私の周りでは風邪を引いている人が増えています。皆様もどうぞお気をつけください。