女性と医療を考えるページ
2004年夏、このページを作成するに至った経緯 田中優子の「入院・手術・療養記」 その1 (これまでの経緯) 手術後1ヶ月 1ヵ月半 2ヶ月 3ヶ月6ヶ月 8ヶ月 1年後 女性医療に朗報!男性更年期・早めに対処を!(06年4月30日)不妊治療・まずセックスレス対策を(06年6月13日) 子宮内膜症、妊娠回数減り増加(07年1月17日)
関連サイトへのリンク 2005年3月29日追加 皆様の声 2005年7月29日追加
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2004年の夏、私は、子宮腺筋症(内膜症)、子宮筋腫の治療のため、子宮全摘手術を受けました。この経験を通じ、様々なこと学び、気づき、考えさせられることが多々ありました。 こうした婦人科特有の病気と向き合わなければならない状況になると、「女性であること=産むことのできる性」であるがゆえの問題にも直面します。 そこで、「女性外来」、「生殖と医療」、「女性としての将来」、「心理・精神面」、「痛み・苦痛と日常生活」、「周囲の理解、無理解」、「医療の現場」、「手術の危険性と可能性」、「手術費用」、「経済コスト」、「名医、名病院の探し方」、「西洋医学と東洋医学」・・・・などのキーワードで、今後、調査・研究や、情報交換をしていきたいと思い、このページを作成することにいたしました。
ぜひ、皆様の体験、ご意見など、お寄せ下さい。お待ちしております。
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2004年8月9日(月) 「今年の夏休み〜入院・手術・療養記」 誰よりも元気で健康だけがとりえ、という私ですが、以前から「月経困難症」がひどくて、毎月毎月とてもつらい状況でした。(小学生の時から水泳選手だったので、生理中の練習は“めちゃくちゃきつかった”ですね) その症状(痛み)は、どんどん増していって、議員になった頃(5年前)から、市販の痛み止めはどれも効かなくなり、発作が始まると、何も出来ず、ただのた打ち回るしかない、という激痛に襲われる・・・ということの繰り返し。「この痛みは尋常ではない、あまりにもひどい!」と思っていたのですが、3年前のある日、とうとう耐えられなくなり、深夜、夫の車で救急外来に行ったのでした。 そこでの診断は、「子宮腺筋症(子宮内膜症の一種)」。環境ホルモンの影響などで近年女性の間でとても増えている、といわれている病気です。 以来、私と病気(激痛)との毎月毎月の闘いと治療が始まるわけですが、あらゆる手段(ホルモン治療から何から、でき得ることのすべて)を尽くしましたが、改善は見られず。とにかく、いつも強い痛み止め(飲み薬に座薬)を持って、何とか仕事をこなしてきました。 ・・・でも、お腹に爆弾を抱えているようなもので、ちょっと痛み止めのタイミングをはずすと、まるで出産時の陣痛のような激痛に襲われ、5時間も6時間ものた打ち回る、ということの繰り返し・・・。これが、毎月。そして、1ヶ月の内、10日間は体調が悪くて、その間に何回も発作が起こる可能性がある、という状況だったのです。我ながら、こんなハンディを抱えてよく仕事してきたなぁ、と思います。 今回、手術の決心をしたのは、今年の3月の予算委員会(3月17日の活動日誌参照)で、福祉保健の質問に出られなかったこと、が大きいです。それまでは何とかすり抜けて、仕事には影響のないようにやってきたのですが、仕事に穴をあけてしまってはどうしようもありません。このままではダメだ・・・と思いました。 でも、『東洋医学』的な考え方や治療法をも同時並行で選んできた私としては、身体にメスを入れる、というのはちょっと・・・、と、かなり抵抗がありました。 そんな時、ちょうど、いい病院を紹介してくださる方があり、また、同じ手術をした、という同級生の話を聞く機会があり(子宮を全摘してしまったらどんなに楽になることか!絶対にお勧め!というのです)、4月の段階で、手術をする決心をしたのでした。 (続く)
2004年8月10日(火) 「今年の夏休み〜入院・手術・療養記」
その後、私は、入院のための荷物を用意したり、子どもの夏休みのスケジュールを確認したり、と、ぎりぎりまで大忙し。 29日(木)の午後、病院へ。今回は、必要最低限の人にしかこの件は知らせず、お見舞いも絶対に来ないで下さい、と(本当に失礼ながら)強行にお断りして、ほとんどの方には病院名もお知らせしないで、とにかく誰にも会わずにゆっくり休みたい、という思いで入院しました。 (結果、大正解だったと思います。いつ、誰が面会にくるかもしれない、と思っていたらとても休めたものではありません)
「全身麻酔は呼吸が止まる!」 手術前夜、麻酔医から説明を受けてびっくり!でした。 実は、全身麻酔は、以前にも手術の話が出た時に手術をためらった要因の一つなのです。 麻酔医の説明はとても丁寧で、危険を察知するための対策がどのように施されているかがよくわかり、これなら信頼できる、と感じました。(もちろん、手術ですから100%完璧に安全、とは言い切れませんが、いかに万全な体制を整えているか、が大事だと思います) 7月30日(金)、朝一番で手術は無事終了。手術自体は3時間かかり、部屋に戻ってくるまでには4時間あまりの時間が経過していました。全身麻酔の経験がある方はおわかりかと思いますが、全く記憶がない内に、もう終わっている、んですよね。気がついた時感じたのは、「のどが痛い・・・」ということ。人工呼吸の管が入って当たっていたのでしょう。 その日一日、色々な管につながれていて、ベッドから起き上がれません。絶飲絶食でもあります。痛み止めが効いていたので、痛みは大丈夫でしたが、動けないこと、水分がとれないこと、がつらかったです。もう寝返りはうっていい、ということだったので、(動くと傷口が痛みましたが)ベッドの柵を持って何度も左右に寝返りをうっていました。 夜中に痛みで目が覚めてしまい、痛み止めの座薬を使いましたが、2時間毎に目が覚める、という状況。
私が入院した病院では、手術用のストッキング(ハイソックス)と、ふくらはぎと太ももに巻きつける血圧測定器のような器具(圧迫ポンプ)が用意されていて、手術中と術後、動けない時に起こりやすい「肺塞栓症」や「血栓症」を防ぐ措置がとられていました。1分間に一度、右、左、交互に、血圧を測るときのように器具がちょうどいい加減にギューっと収縮して脚を刺激し、またスーっと緩む、それがつけている限り永遠に繰り返されるのです。 この器具のおかげで、冷たくなったりむくんだりしやすい脚の血行が促進され、本当に助かったー!と、実感しました。何年か前に手術した友人から、「脚が冷たくなってしまってつらかった」と聞いていたので、今はこういう器具が用意されているのだなぁ、と感心しました。 (続く)
2004年8月11日(水) 「今年の夏休み〜入院・手術・療養」の報告 通常のプログラムでは、子宮全摘手術の場合、術後2日目から歩く、となっています。 動けない、ということがこれほどつらいことか、と実感できたのは、色々な意味でよい経験だったと思いますが、私は、一日前倒しで、手術の翌日の午前中から歩きました。 背中からチューブで導入されている薬のせいで左の腰から太ももまでしびれていて感覚がありません。それでもひざ下の感覚を頼りに、ゆっくり歩くことができました。「やったー!!」 身体状況としては、お腹がパンパンに腫れていて、つっぱっている状態。左半身は麻痺(しびれたまま)・・・と、結構つらい。じっとしていると痛みばかり感じるので、地下の売店まで出かけたり、できるだけ動くようにしていました。 昼から五分粥がでて、口からモノを入れるのは1日半ぶりのこと、感激!でした。 この日は、隅田川の花火大会。13階のロビーから見える、という情報を看護師の方から聞いて、見に行きました。ちょっと遠かった(花火は小さめだった)けれど、しっかり見えて嬉しかったです。 手術後2日目には、背中から入っていたチューブが抜かれ、数時間後には左半身の感覚が戻ってきました。・・・が、それと同時に、どんどん痛みが増してくる。まるで熱した鉄板がお腹に乗っているような感じ。重くて痛くて突っ張っていて・・・。座薬や飲み薬を使っても治まりません。 傷の痛みのほかに、全身麻酔の後遺症もあるようです。動いていなかった胃腸が徐々に働き始めたものの、まだうまく動かない、そんな感じで、胃の痛みも加わり、気持ちも悪くなってきました。(全身麻酔って、やはり相当、身体に無理があるものなのですね) 手術後5日間はそんな感じで、少しずつ、お腹の腫れがひいたり、胃薬で胃の痛みが弱まったりしたものの、頭痛が起きたり、腸の動きとともに差し込むような痛みが走ったり、と、かなりつらい日々でした。 とはいえ、めげずに、歩いたり、ベッドの上でストレッチをしたり・・・(他にやることないし)。 幸いなことに、血圧、体温、血液の状態、等々、すべて良好で順調な快復だったので、そういう意味では何も心配せずに過ごすことが出来ました。 術後4日目から、夫にノートパソコンを持ってきてもらい、この日誌の入力を始めました。消灯後1時間ぐらいは許されますが、それ以上やっていると看護士さんが見回りに来て「眠れませんか?」と心配されてしまうので、本当はもっともっとやりたいのだけれどあきらめて、軽い眠剤をもらって眠る、という日々でした。 (続く)
2004年8月12日(木) 「今年の夏休み〜入院・手術・療養」の報告 手術後6日目、切った傷口を止めていた金具(ホチキスのようなもの×18個)が取り外されました。傷はきれいについている、ということで一安心。表面の傷は横に16.5cm。でも、中では、筋膜と腹膜を縦に(下腹部からおへその方まで)かなり切り込んでいる、ということです。そうか、お腹全体が腫れていて痛いわけです・・・。 表面の傷周辺は、しびれがあり麻痺している・・・。これは、腹部を横に切っているので、縦に走っている神経がすべて切断されてしまっていることにより起こる現象だそうです。しばらくするとつながるということですが、中には元に戻らずに機能障害を来たす場合もあるようです。 (残念ながら、手術の後遺症に悩まされている人って結構いるんですよね.。特に“尿意”がクセモノだと聞いています。今のところそれは大丈夫のようですが、まだ皮膚層は麻痺状態なので、すべての感覚が戻るかどうか、ちょっと心配です) 入院中は、痛み止めの薬も劇的に効く、ということがなく、気がついたら飲まずに我慢している、ということが多かったです。まあ、どんな痛みも、これまでの子宮腺筋症の発作の痛みを思えば耐えられる、という感じですが、それにしても腹部の腫れと痛みは不快・・・。加えてつらいのが、腸の痛み。相変わらず差し込むような(下痢がひどい時のような)痛みがしょっちゅう襲ってきます。 ※写真は病院内のパウダールーム。シャワーができなくても髪が洗えます。ドライヤーも完備。こういう施設はありがたかったです。
手術後7日目に診察があり、傷の経過、その他の値(血液、血圧、体温等々)も順調とのこと。ただ痛みがあるので退院をあと2、3日延ばしてもいいと言われましたが、8日の神宮の花火を家族で見に行く予定だったので、(この痛みを抱えたまま?とちょっと不安ではありましたが)8月7日、10日間の入院生活を終え退院しました。 (本当は1週間もあれば十分だろう、と思っていたので、長い入院&療養となりました) 結果的に、退院を延ばさなくてよかった、です。 相変わらずお腹は痛いのですが、やることが多いので、気が紛れます。それから、病院では限られた運動しかできませんが、家にいると、無意識の内にも実に様々な動きや姿勢をとっているんですね(かかんだり、しゃがんだり)。それが、血液循環を促し、快復にいい影響を与えているみたいです。神宮の花火大会も観に行くことができましたしー。 今(8月12日)現在は、やっと、“くしゃみをしても何とか耐えられる程度の痛み”になりました。一昨日までは、くしゃみをしたら最後!お腹に響いて、転げ回るほどの痛みに襲われていたのです(筋膜や腹膜を縫い合わせた傷がまだくっついていない、という感じ)。快復が実感できて嬉しいです。
私のことをよく知っている友人の皆様、 「どうせ言うこと聞かないと思うけれど」
2004年8月30日(月) 手術1ヶ月後の検診 退院して初めての検診が今日、8月30日でした。手術後1ヶ月が経過しています。 まだ、電車に乗って遠出をするのはちょっとしんどい、という感じでしたが、ゆっくり歩きながら、駅の階段もそろそろと上りなから、御茶ノ水にある病院まで行きました。とても疲れやすいです。 診察の結果は異常なし。順調に快復している、ということで、ひと安心。入浴も、温泉やスパなどもOKという許可が出てうれしかったです。 カルテに、取り出した臓器の写真が貼ってあったので、見せてもらいました。筋腫の部分は色が違っていて、卵のような形で飛び出しているのではっきりとわかりました。私の場合、子宮筋腫と子宮腺筋症の他にも、直腸などとべったり癒着している、という異常があって、残す臓器を傷つけないように子宮を剥がし取る、という手術だったので、神経を使うものだったそうです。(癒着がなければ、開腹しない手術でも全摘が可能だそうです) よく、「子宮をとってしまうと、ホルモンのバランスが崩れて大変でしょう?」と言われるのですが、子宮は“器”であって、ホルモンを出しているのは“卵巣”なので、これまで通り、卵胞ホルモンと黄体ホルモンが交互に出される(つまり排卵もある)ため、(ホルモンのバランスが崩れることで起こる)“更年期障害”がすぐに来る、ということはないようです。 そこで、素朴な疑問。「子宮がなくなってしまって、排卵された卵子はどこに行くのだろう?」・・・担当医に聞いてみましたら、ふっと笑われて、「卵子というのは、元々何ミクロンというもので、(どこに行くの?というほど)目で見えるような大きさのものではありませんけれど・・・。腹膜が吸収するんですよ」、だそうです。(勉強になりました) 今日は、朝早く病院に行って、午後から役所で「補正予算の説明」を、1時〜6時まで5時間かかって、受けました。その後、夜も会合あり、で、長い一日でした。 まだまだ、傷口周辺は麻痺状態で全体的に硬くなって腫れています。触れると痛みが走ります。お腹(腸)の調子も今ひとつよくなくて、消化活動が起こるたびに、刺し込むような痛みに襲われる、ということがあります。それでも、1ヶ月経つと、こんなに元気になるものなんだ、と人間の治癒力のすばらしさが実感できます。順調な快復に感謝、です。
2004年9月15日(水) 手術後1ヶ月半が経過 手術後1ヶ月半の今日から、世田谷区議会第3回定例会が始まりました。 前もって、この議会で私は壇上での質問(代用質問や一般質問)をしなくて済むように、会派で調整をしてもらっていました。手術後2ヶ月が経過する「決算委員会」で、質問を担当する予定です。 術後1ヶ月と1ヶ月半、2週間の違いは何か、というと・・・ 自転車に乗っている時の振動での痛みが和らいできたこと ・・・ですね。でも、まだまだ疲れやすいです。1週間仕事をすると、必ずどこかで動けなくなる(バタンキュー!と眠ってしまう。どうにも起きられない、という)日があります。傷口周辺の麻痺もまだ続いています。時々、切断された神経がつながろうとしているのか、ビリビリっとした神経痛のような痛みを感じます。腸が刺し込むような痛みは、大分減ってきました。 ひとつ、大発見は、「気圧の変化が影響する」ということです。台風が近づいていた日、異常にお腹が痛くなってびっくりしました。腹圧が膨張する、という感じ。同じような手術をした友人が、「気象予報士になれるかと思うくらい、気圧の変化に敏感になる」と言っていましたが、「ああ、こういうことかー」と、わかりました。 今日スタートした議会は、10月19日まで続く長丁場の議会なので、無理をせず、休むときは思い切って休んで、出番の時にはしっかり仕事をこなして、メリハリをつけて臨むつもりです。 「よかった、(快復が)議会に間に合って!」
2004年10月2日 手術2ヶ月後の検診 一昨日から決算特別委員会がスタートしました。9月15日に始まった区議会第3回定例会には、決算委員会も含まれているので、1ヶ月以上続きます。 開腹手術から2ヶ月。今日は検診に行ってきました。卵巣は残っているので、女性ホルモンは同じように機能しているし、他もすべて問題ない、とのことでした。あとはもう、何か異常がなければ、半年とか1年の定期健診を受けるだけでいい、とのことです。 仕事には完全復帰していますが、一週間分の疲れがドッと出て、週末は、こんこんと眠り続けてしまう“寝だめ”のような状況が続いています。体力はまだまだ回復していないなぁ、と思います。 傷口周辺の麻痺と擦り傷のよな接触痛もまだあります。でも、腸が刺し込むような痛みはなくなりました。 バレエのレッスンにも復帰。それから打ちっぱなしでゴルフクラブを振り回すこともできるようになりました。嬉しいです。とはいえ、コースを回る、という体力はとてもないだろう、と思います。ちょうど議会で忙しいので、ゴルフどころではありませんし・・・、仕事に専念!の毎日です。(バレエの時、後ろに反ると、お腹全体が引きつれるような感覚があり、うまく反ることができません。傷が引きつれているのでしょう。これはちょっと時間がかかりそう・・・) 術後1ヶ月半の報告で、「本格的に仕事に復帰して、食欲が出てきた」とありますが、以前に比べたらまだ食べる量は少ないです。 「食欲がない、なんて言ったら笑われるからね!十分、フツウの人の量かそれ以上食べているからね!」・・・とは夫の談。そうなんです。「大食い」の私の基準だと“食べる量減ったな”、と思うのですが、それで十分フツウの人ぐらい(かそれ以上)食べている、らしい。5キロぐらい体重が減って、とても喜んでいたのですが、仕事に復帰した途端、あっという間に2キロ戻ってしまいました。せめて何とかこの体重をキープしたいです! 腹筋も脚力も衰えているので、1週間ほど前から、腹筋運動とマシーン・トレーニングを始めました。(関連記事、10月のショート・エッセイをご覧下さい) あとは、従来の体力の回復をめざして頑張るのみ!です。
2004年11月7日 手術から3ヶ月 子宮全摘手術から丸3ヶ月が経った日(10月30日)は、ヨーロッパにいました。(区議団としての海外派遣で、ウィーンからアムステルダムへの移動の日に当ります。写真:11月1日オランダ・埋め立て開発まちづくりの視察、事務所にて) 術後の状態はきわめて順調だったので心配はしていませんでしたが、体力的に大丈夫か?ということと、気圧の変化で腹圧が影響を受け、調子が悪くなる、ということが(台風の時などに)あったので、飛行機は大丈夫かな?と、それが気になっていたくらいです。(術後1ヶ月半、のところに詳細を記してあります) 結果、何も問題なく、時差ボケすら起こらずに、すべての公式行事と視察を終えることができました。 この時差ボケについては、私は元々から、極端に夜型、というめちゃくちゃな生活をしているから、体内時計が壊れているのだろう、とう説があります。言われてみれば、その通りかも?! 3ヶ月、という時間は、これだけ人を快復させることができるのか〜と、感心。ただ、お腹の傷の周辺は、まだ麻痺が残っていて、時々引きつれるし、「変な感じ」ではありますが。 今だから言えますが、手術後しばらくの間、日常的に何が一番大変だったか?というと、トイレの問題。お腹に力が入らないので力むことが出来ない。それで、何を利用していたか?というと・・・ウォッシュレット。洗浄水の水圧の刺激に頼っていたのです。 「でも、こんなことしていると、何かしら副作用というか悪影響があるだろうなぁ。ウォッシュレットなしではできなくなる、とか、大丈夫かなぁ・・・?」と、心配はしていたのです。・・・案の定、何が起こったか?というと・・・何と“切れ痔”になってしまいました。(ああ、やっぱり・・・!と思いましたね) 病院に行くまでもなく、市販の薬ですぐに治りましたが、このように、本来の病気以外のことでも、結構悩みがあるものだ、ということがわかりました。
★ ・・・・・ ★ ・・・・・ ★ ・・・・・ ★ ・・・・・ ★ ・・・・・ ★ ・・・・・ ★ 様々な経緯を経て、ようやく日常生活すべてOKという状態に戻ることができましたが、こうして余裕が出てきて初めて、「痛みのない生活」、「(ホルモン剤&痛み止めによる)薬漬け、ではない生活」の有難さ、というものが実感できるようになりました。 ホント、よくガマンしてきたなぁ・・・。「私はなんて痛みに弱い人間なのだろう?忍耐力のない人間なのだろう?」と、毎回毎回、激痛に襲われる度に落ち込んでいましたが、あの痛みと闘っていたなんて、もしかしたらものすごくガマン強かったのかしら?などと、今では思ったりして。 それもこれも、手術が成功したから言えること、だと思いますが、健康であることの有難みを日々感じながら、この先の人生を大切にしていきたいと思います。
田中優子、パワー全開で再スタートです!!
2004年11月1日 オランダ・アムステルダムのホテルにて(写真提供:公明党・市川やすのり議員)
2005年2月7日 手術から半年が過ぎて もう、すっかり元気です!と、自信を持って言えるようになりました。日々の仕事も、めいっぱいフル回転でやっています。このホームページの更新だけでも毎晩深夜(時に明け方)になってしまい、睡眠不足との戦いの毎日に戻ってしまいました。 とはいえ、この時期、とても寒いので、冷えが傷の痛みをさそいます。下腹部の17cmの傷の周辺は相変わらず麻痺している感じで、血液循環もよくないのか、硬く、触れると痛いです。できるだけ温めるようにしています。温めると少し柔らかくなるんですよね。何らかの手術をしたことのある方だと実感としておわかりになると思いますが。 術後4ヶ月後ぐらいから、できるだけ毎晩、腹筋運動を心がけてやっています。最近では50回ぐらい。多分、腹筋力は元通りになっていると思います。背筋運動とストレッチも欠かさないようにがんばっています。やはり、少しずつでいいから、毎日続けることが大切だと思うので。暖かくなったら、ゴルフに復帰したいな〜!と希望を持って。
2月5日には、日帰りで、香川県丸亀市へ講演に行ってまいりました。 もう、体力的に十分快復しているぞ!と実感できました。 写真:「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」前にて
2005年4月17日 手術後8ヶ月の検診 本当は、術後半年の段階で、経過を診察してもらわなければいけないのですが、あわただしく過ぎてしまい、3月議会が終わって、ようやく4月8日に検診を受けに、婦人科のクリニックに出かけました。 経験者であればどなたも同じように感じることと思いますが、何度経験しても、あの、産婦人科の診察台、というものは慣れることはない、イヤなもの、ですよね。だから(自分自身もそうですが)ついつい、診察とか検診を受けるのが遅くなってしまう、という気持ち、よくわかります。 でも、妊娠したとか、病気になったとか、病気を予防するための検診、という場合には、そんなことは言っていられません。もぉ〜、仕方ない!とあきらめて、診察を受けるわけです。 今回受信した結果、「何も問題ありません」と言われ、これで本当にホッとしました。 ただ、卵巣がほんの少し腫れているらしく、もし、腫れがひどくなって悪い状態になったとしても、卵巣は何も(痛みなどの)症状が現れないので、1年に1度は検診を受けに来て下さい、と言われました。 ところで、私は、最近、野田聖子衆院議員の著書、『私は産みたい』を読みました。本の帯には「もう、あとがない・・・“初の女性総理として注目される44歳、国会議員の赤裸な告白!」とあり、新聞には「戦う妊娠」と題されてのコラムが載ったりもしていました。 その本の中でも、あの診察台で診察を受ける状況(どれほどつらいものか)が詳細に記されていますが、ホント、皆同じ気持ちなんだなぁ、と思いました。 「不妊治療」の状況については、女性(産む性)としての想いが強い、ということがひしひしと伝わってきましたし、そこまで壮絶な戦いをしてまでの(妊娠を望む)気持ち、を否定するものではありませんが、う〜ん、私にはそこまでの気持ちはわからないなぁ・・・というのが正直なところです。 というのは、私も、子どもができたのは結婚7年目。普通に考えると私(それとも夫?)も「不妊(だった)」わけです。でも、野田聖子氏のように、人工授精をしてまでの不妊治療を考えたことは一度もありませんでした。(というより、不妊治療はもちろんのこと、相談すら一度も受けたことが無い、んですよね) 子どもがいてもいなくても、“基本は夫婦”なのだから、自然に任せて仲良く楽しくやっていけばいい、と思っていましたし、実際、子無しの夫婦二人の生活は(ほとんどタイのバンコクでの生活だったのですが)、あれはあれで本当に楽しかったなぁ〜!最高だったなぁ〜!と、今でも思います。 子どもができる前は、夫婦喧嘩はほとんどしたことがなかったのに、子どもができてからは、しつけの方針などで意見がぶつかって議論(喧嘩?)になることがしばしば。それだけ“子育て”って(これという決まりはないし)大変だということでしょう。 以前はよく、「お子さんがいなくてさびしいでしょう?」と聞かれましたが、ペットだって何だって、存在していたものがいなくなってしまったらさびしいでしょうけれど、最初から存在していないのだから、それが普通なのだから、「何でさびしいと思うわけ?」と、全くその質問が理解できませんでした。 今、こうして思い起こしてみると、周囲には、子どもが無いことについて色々言ってくる人が結構いましたね。それは、言う人にしてみれば親切のつもりなのかもしれませんが、当事者にとって決して快いものではありません。だから私は(子どものいない人に)同じようなことを自分がしないように注意しています。 科学と技術の進歩で、すべてとは言わないまでも、普通ならできないことができる時代となりました。私が子宮全摘手術を受けて、病気から解放されたことも、その技術の進歩のおかげです。子どもがほしい、と思う人たちが、子どもを持てるように、何らかの治療で希望がかなうなら、それも選択肢のひとつに入れるべきでしょうし、あまりにも高額な医療費については考える必要があるでしょう。 ただし、不妊治療の助成などは地方自治体レベルではなく、国がやって下さいね!と言いたいです。少子化を憂うのであれば、世田谷区だけで対策をとればいいというものではありません。国を挙げて取り組むべき問題だから、全国どこに住んでいても同じ条件で治療がうけられるようにするべきです。 しかし、それによって、子どもができない、とか、子どもを持たないという選択をした人たちに対して圧力がかかるようなことがあっては絶対にならない!、十分に配慮すべきである!と、それは強く、強く思うところです。
2005年7月29日(金) 手術後1年経ちました ちょうど昨年の今日、入院し、手術前の色々な検査を受け、翌日子宮全摘出の手術を受けました。 手術前夜は看護士さんが、「大丈夫ですか?眠れないといけないので眠剤を出しましょうか?」と言ってくれましたが、(一応出してもらったものの)普段から睡眠不足の生活をしている私は眠剤にお世話になることもなく、ぐっすり眠ることができました。 後から入院して来た同室の人たちの話を聴いたら、「明日の手術が心配で全然眠れない」とみんな言うので、「あ〜、普通はそんなものなのかしら?」と思いました。私の場合、だいたい手術のことなど全く考えもしないで(心配する間もなく)寝ちゃいましたから。 あれからちょうど1年経ちました。(写真:2005年7月20日会派視察:愛知万博) この1年間もあっという間でしたが、本当に思い切って手術してよかったなぁ、と思います。ぜいたくなことに、こうなると「もっと早くすればよかった。何で5年間も苦しんでいたのだろう?」と、思うんですよね。その5年間があったからこその手術の決断だった、にもかかわらず。 私の周囲でも、同じような婦人科系の手術をした、とか、する、という友人や知り合いがかなりいます。その他、乳がんを患っている友人・知人も増えていて、今のところ、幸い、命に別状はない人ばかりなのでホッとしていますが、女性特有の病気、というものに対して、私たち女性はもっと情報を得て、できることなら罹らないように予防し、運悪く病気になってしまったとしても、すこしでも楽に乗り切れたらいいな、と思います。 女性の閉経はだいたい50歳過ぎ〜55歳ぐらいまでが平均的のようですが、そう考えると、「私は10年近く得したな!」と思います。症状は人によって、ものすごく程度が違うと思いますが、私にとっては“拷問のようなもの”、でした。(特に40歳から子宮内膜症がひどくなった後) ですから、更年期を終えて、閉経後の女性たちが元気になる!というのがわかるような気がします。でも、私の場合、卵巣は残っているので、ホルモン関係はそのまま、ということで、更年期障害は通常通り起こる可能性がある、という覚悟をしていなければならないようですが・・・。 とはいえ、これだけ元気になって、本当に感謝!の毎日です。“痛みとの闘い”というムダな時間がなくなった分、余裕が出来るかと思いきや、結局仕事をしている(仕事を増やしている)だけで、日々の生活の余裕がないのは以前と同じですが・・・、健康なのは本当に有難いことです。
私のこの体験記が、これから治療を必要とする方にとって、少しでも参考になれば幸いです。
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リプロヘルス情報センター “リプロダクティブヘルス”に関する情報の提供、問題提起等、ともにリプロヘルスについて考えるホームページ |
■子宮と卵巣の摘出手術を受けることになり、優子さんのホームページをもう一度しっかり読み直してみました。ひとつ一つのことが自分のこととしてとらえられ、入院・手術の心構えができました。(2005年5月) ■術後の状況なども詳しく書かれていたので、色々な意味でとても役立ちました。(2005年8月)
■最近、友人が「子宮摘出の手術を受けることになった」、というので、「田中優子さんのホームページを見るといいよ」、と伝えたところ、「ものすごく参考になった!」と喜ばれました。(2005年7月)
■実は私も昨年の7月末に子宮全摘手術を受けていて、以来切実に健康の大切さを感じるようになりました。お金よりなにより健康!(私は妊娠時の検診で子宮頚癌が判明して、産後4ヶ月で一度手術を受けたものの再発、昨年全摘しました。内膜症も併発してたので本人的にはつらい生理がなくなってせいせいしてます。) (2004年夏)
■10年ぐらい前に、妻が同じ病気で苦しんでいました。
■「(田中さんのHP)女性と医療」は「ここまでオープンにしてくださるの?」と思うこともありますが、私としてはとてもありがたい情報だと思っています。女性特有の病気はどうしても閉ざされがちです。でも大きく病気という点で考えれば他の病気と同じですよね。婦人科検診なども、美容院に行くような気持ちで、女性が堂々と行ける世の中になってほしいですね!(私が職場で婦人科検診を受けるので休暇を取る手続をした時、担当事務の人も上司もこそこそと恥ずかしいものを受け取るような態度で、私の方がさらに気まずい思いをしたのが印象的でした) 田中さんの情報提供のおかげで、早期治療で良くなったり、病気を抱える人にも勇気を与えることになると思います!(2004年秋)
■亡くなった妻も同じ病気でした。本人でなければそのつらさ、痛みはわからないでしょうね。大変だったことと思います。どうぞお大事になさって下さい。(2004年秋)
■産科の内診で、看護士の心無い言葉に傷ついたことがあります。何回経験しても、産婦人科の内診はいやなもの、慣れるということはないものだと思います。だから、つい検診に行きたくなくて、早期発見早期治療ができなくなるケースがあるのでは、と思います。あの内診台は何とかならないものなのでしょうかねぇ・・・。(2004年秋)
■2004年10月15日 (朝日新聞「声」 毛利圭子・主婦・40歳)「女性の気持ち考えた診察を」より抜粋 |